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2004.06.30

日常という舞台装置。




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先見日記 insight diaries

港さんの日記と片岡さんの日記はいつも楽しみしているのだが、
今回のはその中でも出色だったのでご紹介。

たぶん「一瞬の音」が、いつの頃からか「ひらめき」として受け入れられているからだ。その「ひらめき」とは街路に満ち溢れている、いくつもの「突然」に「素早く」かみつくような感覚である。都市の「ひらめき」をいくつも経験することによって、ここ1世紀のあいだに人間はSnapを現代都市特有の芸術とするにいたった。今もニューヨークを歩くときに強く感じるのは、都市の財産として受け継がれている「ひらめき」の感覚なのである。

ここでは、シャッター音=ひらめきとしているが、
私的には、シャッター音だけがひらめきではないと思う。

これはたぶん職業病の一種だろうが、
私はいつも突然の音には振り返って反応している。
(日常の音を意識し出すとかなりうるさいので、
 ご用心ください)

たとえば、こんな音だ。

・ハイヒールを履いた女性の足音が急に変わった音
コツコツコツ・カカン

そこでは、何かが起きているはずなのだ。

一度、舞台化してしまった場所では、
実際に写真を撮る撮らないはもう問題ではない。
その証拠に、携帯の動作音、あれみんな消してますよね。

単純にうるさいということもありますけど、
みんなストリートが舞台であることを知っているわけです。
で、音を出すとその舞台の前に出てしまうことも知っている。
だから、消すんだと思うわけです。

これは関川夏央が指摘していたことだが、
韓国のニュース映像とかが流れるとびっくりする。
被害者の家族の狼狽ぶりや叫びぶりにである。
あれは、結局近代自我の確立の問題であると同時に、
カメラを舞台装置の一部として認識しているかどうかの差なのだ。

日本でも、やはり都市の中継と田舎の中継には、
温度差が発生している。
たぶん、「みっともない」ということなんだろうけど、
そう思うということは、舞台装置を意識しているということなのである。

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投稿:by 2004 06 30 04:51 PM [携帯・デジカメ] | 固定リンク

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