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2004.09.02

実感としての死ぬ瞬間。




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極東ブログ: キューブラー・ロス博士の死と死後の生

ずいぶん昔に死ぬ瞬間について、何人かで話したことがある。
8人ぐらいだったか??

で、そのほとんどの人が実感がないという返事だった。
その中に私ともう1人が「たぶんわかる」ということを言った。

・もう1人

 交通事故で正面衝突して、ぐしゃぐしゃになったときにさ。
 ああ、死ぬってこういうなのか、と思ったよ。
 ぶつかる瞬間スローモーションになって、あれだよ走馬燈ってホントに走るんだよ。
 で、ああ~おれの体はもう終わってしまった、と思った。
 病院で気づいたときには、ラッキー!、と思った。

・わたし

 高校生の頃に血を吐いてぶったおれたことがあって、
 便器が真っ赤に染まるのを見て、ああ~おれの体はもう終わってしまった、と思った。
 自分に起きたこととはあまり信じられなかった。

そう、共通するのは自分の体を冷静に見ていること、
つまり、他人事として扱っているということだ。

ただし、このことはそれが突然訪れたため、
そう扱うしかしかなかったという側面がある。

死に向き合う時間があったときに、
そういう冷静さが保てるかというとかなり厳しいだろう。
しかも、それが初めて死に直面するときであれば尚更である。

ただ、今の私にはそれ以来、死に対しての恐怖感はない。
花を摘むということと大差がないというのが実感である。

で、それはそんなにまちがってないと思うし、
1度死を実感できて、死ぬことに重さがなくなった私はラッキーだと思っている。


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投稿:by 2004 09 02 06:09 PM [書籍・雑誌] | 固定リンク

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