トップ > 建築 > その昔、大阪が世界一だった頃に建てられたトンでもない建物。
いしたにまさきの新刊:HONDA、もうひとつのテクノロジー ~インターナビ×ビッグデータ×IoT×震災~ 01 それはメッカコンパスから始まった|Honda、もうひとつのテクノロジー 02 ~インターナビ×GPS×ラウンドアバウト~ 運転する人をサポートすること|Honda、もうひとつのテクノロジー 03 ~インターナビ×災害情報×グッドデザイン大賞~ 通行実績情報マップがライフラインになった日
2005.05.12
その昔、大阪が世界一だった頃に建てられたトンでもない建物。
ツイート
|
![]() |
いきなりでなんですが、日本綿業倶楽部(日本綿業会館)の紹介です。
綿業会館は昭和6年(1931年)12月、日本綿業倶楽部の建物として竣工し、翌年1月1日に開館しました。 設計は渡辺節氏が担当し、ヘッドドラフトマンには村野藤吾氏が参画しました。
各部屋のスタイルを変えたのは、世界各国の来賓や、会員の好みに応じて、好きな部屋を選んでもらいたいという設計者の配慮によるものです。
様式のみならず、将来の本格的な冷暖房の普及を予想してダクトの径を太くして建物に内蔵させ、当時からすでに、井戸水による冷風送気を行い、地下室に冷暖房設備のスペースを残すなどの工夫も見られます。
また、各部屋の窓に鋼鉄ワイヤー入り耐火ガラスを使用していたため、戦火をまぬがれました。このようにこの建築はデザイン面の素晴らしさだけでなく、設備の面でも先駆的な試みがなされています。
まさに名実ともに戦前の日本の近代美術建築の傑作と言われ、高く評価されています。
第一次世界大戦と第二次世界大戦の間の時期、実は大阪は紡績業でバーミンガムを抜いて、瞬間最大風速的に世界一の都市になったことがあります。
その時期に大阪では数多くの建物が建てられ、そのほとんどは大理石、それは今でもかなりの数が残っています。紡績業の町・大阪の綿業のオーナークラブと言った意味合いで建てられた綿業会館は、その中でも群を抜いた建物です。
当時の建設費は約150万円。
故岡常夫氏(東洋紡績専務取締役)やすこ未亡人から「日本綿業の進歩発展をはかるため」(故人の遺言)として100万円の寄付を受け、これに関係業界からの醸出金50万円を加えた150万円を基金に綿業会館建設を決定
(例) 昭和2年の1円は今ではいくらくらいか(平成15年現在で試算した場合) ―昭和2年と平成15年の企業物価の年平均がそれぞれ1.099と 637.4となるので、 この間の物価上昇率を求めると以下のようになります。
637.4/1.099≒580(円)
ということで、現在の貨幣価値に換算すると約9億円。建設費としては、それほどの高額ではありませんが、この綿業会館そんなに大きくないのです。主にお金がかけられたのはその内装でした。
壁面のタイルタペストリーは京都泉涌寺の窯場で焼いたもの
あはは、ひと部屋のタイルだけ特別につくらせていますよ!
床石はアンモナイト化石の入った天然石
床が天然石!
今は結婚式なんかもやっている様ですが、見学はいつでもというわけにはいかないんですね。
館内見学 (有料 500円/1人) 毎月第4土曜日 14:30~15:30
事前に (06)6231-4881 までご連絡ください。
1ヶ月に1時間だけですか!?!?
« 朝みの(朝ズバッ!)は辛い | トップページ | 絵を描くことの困難さここにあり。 »
投稿:by いしたにまさき 2005 05 12 02:45 PM [建築] | 固定リンク
トラックバック
この記事のトラックバックURL:
この記事へのトラックバック一覧です: その昔、大阪が世界一だった頃に建てられたトンでもない建物。:
» おそらく日本最高峰の近代建築遺産、大阪綿業会館でファッションショーです from 余は如何にして道楽達人になりしか
繊維の街“大阪”からのファッショントレンド発信を目指して 開催されてきた大阪コレ 続きを読む
受信: Feb 13, 2006, 12:26:25 AM