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2006.01.25
「ほりえもんというブロガーの最期」に捧ぐ。
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ここまでなにも書かずにきたが、ホリエモン報道はそれなりに見ていた。で、きのういちばんひっかかるセリフが出ていた。
「ここではインターネットは使えないの?」
これである。これをマスコミはホリエモンを嘲笑する格好のネタとして盛んに取り上げていた。でも、私にはなんとなく違和感があった。拘置所である。ホリエモンにそんなことがわからないわけがない。このホリエモンが言ったとされるセリフに対する違和感はなんだろう?どういうことだろう?ここ半日悶々としていた。
で、それの明確な回答が出た。そう、ホリエモンを投資家として見るから、物事がわかりにくくなる。ホリエモンをブロガーとして見るだけで、物事はこんなにもわかりやすくなるのだ。
「ここではインターネットは使えないの?」。拘置所に入った堀江はそう訪ねたという。週刊誌の差し入れですら関連事件の記事には墨が入るという拘置所でネットなど見れるわけがない。しかし彼は見たかった。自分のブログのアクセス解析を。自分の名前でサーチしたテクノラティの検索結果を。
だから、たぶんホリエモンは
「ここではインターネットは使えないの?」
とは言ったが、使えるか使えないかを聞いたのではない。使えないことを確認する慟哭であったと見るのが適切だと思う(え、生理なの!ってやつだ)。
何か事が起きると、人は事が起きることの前のことを炯々に忘れてしまう。歴史が本質的に為政者のためのものでしかない以上、歴史は常に新しいものとしてみなくてはいけない。そういうもの見方の最高の踏み絵として、やはりアクロイド殺しは今も名作として燦然と輝き続ける。
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投稿:by いしたにまさき 2006 01 25 05:42 PM [魂(ハート)] | 固定リンク
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