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2006.01.05
女王の教室の再放送で見えてきたもの・物語構造編。
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年末年始のテレビの中でいちばん面白かったのは、女王の教室の再放送だった。
本放送で問題となった部分や、エンディングにおける問題(なんで踊るのさ?)など、いろいろ言おうと思えば言えるが、それはそれとして十分なクオリティを持ったドラマであると思う。
私がいちばん気になったのは、その物語構造だった。
女王の教室はどうも女王である天海祐希演じる「阿久津真矢」と6年3組との二項対立の物語と思われているようだが、実際は「たったひとりの少女に世界のすべての責任を取らせようとする物語」であると思う。
つまり、モモ → ナウシカ → 女王の教室ということだ。
【モモ】
少女 : モモ
悪らしきもの : 灰色の男たち
少年 : ジジ・ペッポ
【ナウシカ】
少女 : ナウシカ
悪らしきもの : 腐海、蟲
少年 : アスベル
【女王の教室】
少女 : 神田和美
悪らしきもの : 阿久津真矢
少年 : 真鍋由介
いずれも少女はまっすぐ一本道を行くタイプであり、少年はいろいろあるだろうが要するにあまり幸せになれないタイプである。
では、なぜ女王の教室のスタッフはこの物語構造を採用したのだろうか?
それはたぶんスタッフが実りのある説教(マキバオーにおけるチュウベエ親分)をしたかったからだ。
実りのある説教とは、簡単に言うと世界とはどういうことであるか?ということを不自然でない形で問いかけることだと思う。
そのためには、物語装置上で主人公に世界が襲ってくる構図としなければならない。そうすることで、不自然さがカバーできる。
そして、なぜ少年ではなく少女なのか?これは複合要素が絡み合うので一言では言えないのだが、まあ今の時分で世界と対立するのが少年ってことはないでしょう。
この辺はまた次の機会に探ります。
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投稿:by いしたにまさき 2006 01 05 06:27 PM [映画・テレビ] | 固定リンク
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