みたいもん

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2006.01.27

1月25日からこのブログは元・日本全国・見たいもんはみたいぞの会となっていました。




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1月25日に、このブログの名前を「みたいもん」に変更しました。なぜ、その日だったのかはということに関しては、あまり意味がありません。ただ、この時期であったことには意味があります。

そもそも「日本全国・見たいもんはみたいぞの会」という名前は、ブログを始めるときにでき上がった名前ではありませんでした。この名前は、2000年か2001年頃にできた名前です。

当時、既にギリギリで機能していたデジクリのMLのあるスレッドから、この話題は面白いから別でもっとやろうということになり、そのスレッドの言い出しっぺである私が主催となってMLをスタートさせました。それが「日本全国・見たいもんはみたいぞの会」でした。

その後、9.11などを契機としていろいろなことがありながらも、このMLはなんとなく残っていました。そうこうするうちに、投稿するのは主催である私とこのブログでもエントリーを書いている鈴丸だけという状態になりました。

ただ、不思議と登録数は減りませんでした。たまに「こんなふたりだけが投稿している状態でいいんですか?」と問いかけると、「いや、二人のやりとり(とそのネタ)がおもしろいんだから、そのままやって!」というレスはちゃんとありました。それで、まだ続いていくことになりました。

そうは言いながらもこのままではまずいなあとも思っていました。ネタがおもしろいという理由で存続しているのであれば、別にMLというスタイルにこだわる必要はないからです。

そして、しばらくいろいろなサービスを試していた頃、niftyがココログをリリースすることになり、MLに流していたものをエントリーしていく形に徐々に移行していきました。当然、名前はそのままです。

スタートした当初はあまり気にしていなかったのですが、Googleの検索結果の表示や最近ではソーシャルブックマークだと特に自分のブログの名前 が長すぎることがひとつの問題となっていることは早々に自覚していました。しかも、このブログのエントリーはなんというかタイトルも長いんですね。だか ら、対応しなくてはとずっと思っていました。

オフで人に紹介されるときもブログの名前を全部言ってくれる人はまずいなくてw、「みたいもんのいしたにさんです」と紹介されることがほとんどです。

ただ、ブログの名前を変えられない理由がありました(そういえば、この理由にまつわる話はこのブログで書いていることでほとんどこれだけと言っていい、今までは明かさずにいた話になります)。

さて、話をMLの頃に戻します。

さっき「9.11などを契機としていろいろなことがあり」と書きました。それは主にあるMLが中心となっていました。

そのMLは私のMLではなく、1日の流量が最盛期には200を超えるというアホのような「ip2000」というMLでした。

この「ip2000」というMLはそもそもは世界一周を航海している洋上の船を動くスタジオとするこれまたアホのようなip2000プロジェクトのためのMLでした。しかしip2000プロジェクトそのものが終わっても、それに参加した人たちの交流の場として機能していました。私はip2000プロジェクトには直接参加はしていませんでしたが、みたいもんMLに参加したメンバーが多くip2000のMLに参加していたこともあり、なんとなく登録していました。

そして9.11が起きました。それまでなんとなくまったりとしていたMLの空気が一変しました。参加メンバーが勝手にめいめいにいろんなことを始め、そして協力し合いました。そして9.11から1週間か2週間ほど過ぎた頃、ある一通のメールが飛び込んできました。

そう、それは文字通り飛び込んできたのです。その文言を私は今でもはっきり覚えています。

 「情報源なんてもんはどこにでもあるが、ここは最高だ!」

このメールの主は何者だ?みなが色めき立ちました。署名についていた名前から、その主の素性はすぐに明らかになりました。

名前は清水欣也(通称シミキン)。日本テレビのドラマのプロデューサーでした。わかりやすいので、この清水欣也さんの手がけた仕事を列挙しておきます(もちろん下記が全部ではない)。

  • 太陽にほえろ!(第一期)
  • 傷だらけの天使
  • 前略おふくろ様
  • 熱中時代
  • ちょっとマイウェイ  

鼻血出ますよ、この並び。簡単に言うとすげえ大物だったわけです。松田優作もショーケンも桃井かおりも全部この人が見出したんです。

日テレ退職後は日テレCS事業部で役員(といっても実験番組ばっかり作ってた)をやり、その後さらにプロダクションを作ろうとしていました。つまり、最後まで現役を貫こうとした人です。

このおっさんが参加してから、MLはさらに面白いことになっていきました。その後、実にいろいろなことがありました。書き出すときりがありませんが、いちばんの成果は2002年のメディア芸術祭で特別賞を受賞したライフスライスというプロジェクトです。

そして、当時MLに参加していた大部分のメンバーにとって、少なくとも私にとっては、いつも後ろで見ていてくれるまさに師父でした。清水さんの言葉は、実はこのブログに過去に何度も登場しています。ただ、誰が言ったものかを明記することはありませんでした。それは清水さんがそういうことが嫌いな人だからです(これがこのブログで唯一オープンにしていない話でした)。

その後「ip2000」というMLはなくなり、以前ほどのやりとりはなくなりました。何か報告できるものができたら、報告に行こうと思ってました(いや、それは今でも思ってます)。うかつな報告なんかできないんです。すげえやさしいけど、すげえ怖いから。

そして検索エンジン経由で私と清水さんをつなぐものが「日本全国・見たいもんはみたいぞの会」という名前だったのです。

もうお分かりだと思いますが、この清水欣也さんは既にこの世の人ではありません。そのことを知ったのが、今年の始めでした。もう検索エンジンはどうでもよくなりました(シミキンの話はまたおいおいしていきます)。亡くなったら変えるってなんだか都合いい感じもしますが、亡くなったからこそ変えるというのは私なりの気持ちの表れです。

さて、そんなこんなで悶々と次のブログの名前を考えているとコグレさんが命名してくれました。

[N] 「みたいもん」に捧ぐ.

ネタフルでもしばしば登場するいしたにさんが、ブログの名前を「みたいもん」に変更しました。実はこれ、ぼくがお薦めしたと言っても過言ではないのです。

さらに、[mi]をつけてみました([ ]はネタフル系ブロガー)。

 [mi]みたいもん

なんか収まりがよくなりました。

さらに「!をつけると勢いが出る」という意見がありました。
ということで、

 [mi]みたいもん!!

となりました。

みなさん今後ともよろしくお願い致します。あー、やっぱこれ書かなきゃ先にはいけなかったなあ。あー、疲れた。

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投稿:by 2006 01 27 01:00 PM [ウェブログ・ココログ関連ライフスライス] | 固定リンク

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