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2006.06.23
ドラマにおけるSFの復権、涼宮ハルヒとギャルサーと女王の教室。
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長門の戦闘シーン、艦隊戦、そしてライブとこれを毎週放送している京都アニメはまったくどうかしているか、それとも巨神ゴーグの様に放送前にあらかじめ作られていたかのどっちかとしか思えない。
リンク: 萌え理論Blog - 祭りからライブへと進化するハルヒ.
エヴァと後続の作品が後になるほど破綻するのに対して、後の方でジグソーパズルが完成するタイプの作品というのは、ちょうど反転していて興味深い。
先日、うっかり「エウレカってなんだったんだよ」と言ってしまったことも、上記につながっている。エウレカはやっぱりエヴァ以降という圏内にいる作品だということだ。
私がアニメを見る際にけっこう気をつけているのが、この「以降」という見方だ。いや、正確には語られ方と言ったほうがいい。
例えば、エヴァというのは「エヴァ以降」という文脈で語られるべきだし、実はガンダムは「ガンダム以降」ではなく「ガンダム以前」を軸にして語られるべきものだ(以降という意味ではZガンダムは完全に「以降」で言われるべきもの)。
以前で語られるべき作品は、それまでの流れから自然に生まれてきたが故にそれ以前の作品からの検証が重要であり、以降で語られるべき作品は新しい可能性を見せてくれたが故にそれ以降の作品からの検証が重要であるということである。
さて、冗談はその辺にして!
ハルヒの物語を見る上で重要なことは、やはりSFというジャンルのことである。SFというのは、何も宇宙とかそういうことではない。
今のこの世界とは別レイヤーが存在していることに真摯に向かう作品群のことであると個人的には思う。
ハルヒにはたくさんのレイヤーが存在している。数えていったらきりがない。実に多重的だ。
- 原作
- アニメ
- 時間軸
- 宇宙人
- 未来人
- 超能力者
要素だけでこんだけあって、それがまた組み合わされている。というか、その組み合わせこそが面白い。
てな、ことを考えながらテレビをほったらかしにしていたら、ギャルサーの総集編をやっていた。これはこれで最近話題になっているものである。
リンク: ギャルサー.
しばらく、ぼーっと見ていたらけっこう面白い。よくできてる。これも複数レイヤーの話だし、それにちゃんと最後に向かって収束している(ように見えた)。
そして、はたと気づいた。
「なんだか無駄に熱く諭す男と警官というコンビ」
このコンビは知ってるぞ!そう!熱中時代・教師編だ。「ぼくの先生はフィーバー」ってやつである。
(そういえば、熱中時代には警官がUFOにさらわれる回とかあったはず、それを言うなら北の国からでもあった←ここは犬株がフォローしてくれるはず)
ほとほと、われわれはあるおっさんの手中で遊ばせてもらっているのである。そうそのおっさんの名前は清水欣也と言います。
リンク: 国内著者別一覧[しま].
清水欣也
1970年 「午后の碑文」《季刊NW-SF 2号(1970/11/01)》
1971年 「天使街 (1)」《季刊NW-SF 3号(1971/03/15)》 「天使街 2」《季刊NW-SF 4号(1971/08/15)》
1972年 「天使街 第3回」《季刊NW-SF 5号(1972/01/15)》 「天使街 終回」《季刊NW-SF 6号(1972/09/10)》
1973年 「あそことここと」《季刊NW-SF 8号(1973/11/01)》
で!
やっと、本題。
少し前に『女王の教室』というドラマが話題になりました。放送当初はその過激な演出に文句がかなり殺到したものの、最後のどんでん返しでちゃんと人気をつかみ、その続編である特別編も作られました。
この辺りから、どうもテレビでも特に物語のような手間のかかるものを作っている人たちの間では、「視聴者はバカではない」というコンセンサスが得られたのではないかと思ってます。ちゃんと作れば、視聴者はちゃんとわかってくれるということに制作側が気づいたのではないかと。そうでないと、複数レイヤーを描くなんていうSF的な手法は取れないわけです。
物語構造がしっかりしてくれば、自然と描写は力の入ったものになります。それがあの12話のライブ演奏の描写なのだと思います。伝わるってわかってなきゃ、あんなもの作れませんよ。
あ、そっか!
そもそものハルヒブームの先鞭となったエンディングのダンスが『女王の教室』へのオマージュであり、ストレートカバーであったことって、ちゃんと意味があったんですね!
いやあ、京都アニメすばらしい。
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投稿:by いしたにまさき 2006 06 23 02:58 PM [涼宮ハルヒの憂鬱] | 固定リンク
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◆「YouTubeで見られると、DVDが売れなくなる」ってのは大間違い・詳細編
違法は違法と言いたいところですが、レンタルではやはりタイムラグの問題は大きいし必ず借りられるわけでもないんですよね(私はぽすれんにも入ってチェックしきれないアニメ観たりしますが)
まるまる一本Youtubeに上がってしまうのはやはりなかなか認められないと思うので次善、次次善の策として... 続きを読む
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