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2009.07.01
2009年6月というマイケル・ジャクソンが死んだ異常な月について
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1998年が異常な年だったように、2008年も後に考古学的に考察されるべき年になるんじゃないかと考えていました。
それに関連して、2009年の6月というのが、異常な月、つまり記録されるべき月になったと考えています。つまり、2008年までの膿のようなものが、この6月に一気に噴出したのではないかと。
もう思い出すのですら困難ですが、ざざっと思い出すだけでこれだけのニュースがありました。
- 三沢の死去
- 松本人志の結婚
- 川島なお美の結婚
- あるモデルの死亡
- 小向美奈子のストリップデビュー
- いろんな芸能人のむやみな引退
そして、この異常な6月の仕上げがマイケル・ジャクソンの死去。
スリラーはなにせ1億枚売れたのです。マイケル・ジャクソンは、もう2度でないスーパースターなんです。
単独商品で1億という数を売ったものと言えば、他に何があるんだろうか?
あのマリオだって、シリーズ全タイトルでやっと2億なんですよ!
そして、ここだけははっきり言っておかなきゃいけないんだけど、見た目がどんどん変わっていっても、マイケル・ジャクソンはちっともダメになっていないんです。
▼Michael Jackson - Dangerous Dancer
じゃあ、なんでこんなことになったのかというと、たぶんこういうことなんじゃないかと思います。
リンク: マイケル・ジャクソンさん - 【B面】犬にかぶらせろ!.
20世紀のポピュラー音楽史には『スリラー』以前、以後という線が引かれている。
本格的に世界市場に向けて作られた、初めてのポピュラーアルバムが『スリラー』だったと思う。
人種や故郷や言葉を超える商品を生むために、マイケル・ジャクソンは、黒人でも白人でも大人でも子どもでも男でも女でもないという唯一の人、唯一の存在にならざるえを得なかったんだと思う。
いや、人だったのかどうかすらあやしくもある。
自分でもよくわからないまま書き続けますが、これはつまるところ、マイケル・ジャクソンじゃなくて、要するに世界の方が「変わった」のだ。コンテンツの流れも、それに伴う金の流れも(この際、順番は逆でも同じか?)。
で、それがtwitterの爆発と連動しているかどうか?これは後の歴史で判明するしかないだと思うのですが、とりあえず書き出しておきました。
ふー、それにしても一体何が起きているんだろうか?
▼二十世紀
【いちばん好きなマイケル・ジャクソンのライブパフォーマンス】
▼1 / Michael Jackson @ MTV Award Performance
▼2 / Michael Jackson @ MTV Award Performance
▼3 / Michael Jackson @ MTV Award Performance
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投稿:by いしたにまさき 2009 07 01 01:34 AM [都市伝説] | 固定リンク
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