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2010.02.09
『涼宮ハルヒの消失』、物語とマーケティングの大団円
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涼宮ハルヒの憂鬱の地方局でのしかも深夜枠でのテレビ放送から4年。
ハルヒとネットについて記事を書いたこともあり、それなりのファンとしてハルヒを追いかけ続けました。気づけば、かなりの数のハルヒ記事を書き続けてきました。
この4年間の成果としての、ハルヒ映画化。それもシリーズ中最高傑作とされる『涼宮ハルヒの消失』。そりゃ楽しみにしてきました。
ただね、最初に映画の情報を見たときは、なんの冗談かと思ったんです。
リンク: 涼宮ハルヒの憂鬱 特設ファンサイト.
■上映形態
2010年/日本/2時間42分53秒/ビスタサイズ/SRD・ドルビーSR予定
2時間42分!つまり163分!
正直、うそかと思った。だって、あのアバターだって161分なのですよ。
1日で何回上映するのか?とかを考えたら、どう考えてもいいとこ2時間ぐらいで収めるべきなはず。
ということは、映画は「総集編+消失」みたいな構成になってるんじゃないかと思ってわけです。
だって、いきなり直球で『消失』だけをやっても、初見のお客さんにはわからないですからね。
とかいうことを考えながら、公開初日の深夜のバルト9に出かけてきました。
ところが!
この映画、163分を丸々全部使って『消失』だけをきっちりやりきった。ホントびっくりした。京アニすごいよ。
そして見終わってみると、やっぱり『消失』はハルヒシリーズの大団円的作品なのです。
実際、『涼宮ハルヒの消失』という物語は、2期で放送された「笹の葉ラプソディ」だけでも、最悪知らないと、この話はほとんどわかりません。
また、この作品の長門をちゃんと知るためには、やはり2期において8回も繰り返された『エンドレスエイト』は、見ている方も疲れるほどのしつこさでなければならなかったことが、今となってははっきりわかります。
さらに『消失』のネタというのは、1期の時点で既に話の中に埋め込まれています。つまり、長門とはどういう存在で、何をしてきて、何が変わってきたのかということですね。
だから、1期の最後も2期の最後も『サムデイ・イン・ザ・レイン』(原作にはないアニメオリジナル作品)であったことに意味はあったのだし、消失が思った以上に青春群像な物語になっているのも、やはりサムデイ・イン・ザ・レインに既にしかけられていたとも考えられます。
つーか、これ書いてて、また長門のこと考えるとおっちゃん泣けてきたよ。
要するにホントにファンのことを考えて、最後の最後まで、『消失』という話を一切省略することなくやりきった。だからこその普通の人にとっての高評価でもあるわけです。
そういえば、テレビのハルヒ1期2期も2回ぐらい見ると、いろいろとスタッフの演出意図がわかってきた様な作品です。
これはもう1回見ないといけませんし、もう1回見てよね、というメッセージもしかけられています。
で、ここでいきなり冷静になってみましょう。
つまり、この「涼宮ハルヒの消失」という映画は、物語だけではなく、マーケティングとしても大団円になっているんじゃないかってことですね。
ここで私は自分の4年前の言葉を思い出さなくてはいけません。
リンク: 涼宮ハルヒが起こしたYouTubeの憂鬱、ネットマーケティングの大成功例。.
ハルヒは1クールで終わるアニメです。キー局じゃありません。広告予算も潤沢ではないはずです。だから、ハルヒのスタッフはいわゆる「あちら側」のネットの善意を信用したんですね。信用しているから、安心して不親切さを仕掛けられる。
1期の涼宮ハルヒがそうであった様に、『涼宮ハルヒの消失』も極めて不親切な作品です。
しかも、その不親切さは、今回は1期の様に原作を読めばいいというレベルではなく、1期と2期を味わうともっと面白いよ!という不親切さなわけです。
作品に力があれば、涼宮ハルヒを映画で始めて見た人は、その不親切な作品について、ネットで調べるでしょう。
そして、そこにはどうして『涼宮ハルヒの消失』という映画が成り立っているかの言説があふれているはずです。
ということは、公開日初日にくるようなお客さんというのは、スタッフにとってはただのお客ではありません。
ネットマーケティングにおける大事なパートナーです。
リンク: 涼宮ハルヒの憂鬱 特設ファンサイト.
「劇場版 涼宮ハルヒの消失」にお越しいただいたお客様全員に、先着で「涼宮ハルヒの消失」特製メモパッドをプレゼント致します! (特典は数量限定につきなくなり次第終了となりますのでご了承ください。)
はい、私ももらったメモパッドです。
この絵はパンフレットの表紙と同じ絵柄です。
なぜ、表紙が長門でメガネが描かれているか、公開してすぐ見る様な人間にはピンときます。
これがパートナーである我々に向けられたメッセージでなくて、何がメッセージなんでしょう。そして、これに応えないで何がパートナーだというのでしょう。だから、私もこんな長いエントリーを書いているわけです。
そして、そこに4年という年月の厚みが加わることで、映画を見た人はネット上のいろんなルートで、本来知るべきことを知ることができる様になるでしょう。
そういったネットマーケティングの成果も、涼宮ハルヒシリーズという作品が獲得した力なんです。だから、マーケティングもここで大団円なんですね。
さて!
角川による消失のハルヒtwitterキャンペーンも用意されています。一応、これにも付き合っておきましょう。せっかくですからね。
あ、そっか。
ここまできて、なんで消失がハルヒシリーズ最高傑作なのか、やっとわかった。
そうか、御手洗シリーズの最高傑作が『異邦の騎士 (講談社文庫) 』でそうであるように、この作品はまさにシリーズのファンのために書かれた作品だからなんですね。
ふー、やっと『消失』のことがわかってきましたよ。
【追記】
長門の萌えとはどういうことなのか?、ひとつの答えがここにあります。ホント高度、そしてそれを楽しむ人="All Fans"がこれだけいるというすごさ、日本すげえ。
リンク: 現代日本が達成した萌えの到達点が高すぎる問題 - Future Insight.
対して、乙の萌とは、甲ではないもの故の萌えです。つまり、甲があるからこそ乙であるもの故の萌えと考えることができるでしょう。今回の「涼宮ハルヒの消失」で達成した長門有希に対する萌えは、まさしくこの乙の萌えであり、さらにそれを映画化という特別な枠に切り取ることで純粋な萌えに昇華しています。
いろいろ映画見た後、もう一度考えたんだけど、長門の萌えは色恋ではなく、人としての尊厳に対する萌えなんだと、やっぱり思います。
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投稿:by いしたにまさき 2010 02 09 10:30 AM [涼宮ハルヒの憂鬱] | 固定リンク
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みてきた。
以下ちょいネタバレありで。 続きを読む
受信: Feb 11, 2010, 9:15:51 PM