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2012.01.16
北川景子のブログにみる師の訃報に対するもっとも真摯な姿
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年末に亡くなられた森田芳光監督の葬儀の際の北川景子さんの姿が話題になりました。
私も、テレビを見たわけではないので、動いているところは見ていませんが、写真を見るだけでも、胸が締め付けられます。
- リンク: 北川景子号泣 織田裕二、黒木瞳らが森田芳光監督に最後の別れ : 映画ニュース - 映画.com.
- リンク: 森田監督、有馬ダムール馬券と天国へ (1) - 芸能 - SANSPO.COM.
- リンク: スッピンで憔悴する北川景子らに胸打たれる森田監督の葬儀 - NAVER まとめ.
同時に、私の周囲でも、同じようなことを思った人がけっこういましたが、こういった姿に人はまさに胸を打たれるわけです。
今回北川景子さんがここまで深い悲しみに包まれた理由は、ご本人がブログに書かれています。
リンク: 森田芳光監督へ - KEIKO'S BLOG - 北川 景子 オフィシャルブログ.
18の頃に映画「間宮兄弟」のオーディションで森田監督と出会い、 緊張していた私に「監督の森田です」と暖かい笑顔で自己紹介をしてくださったこと 「女優をやめずに続けて下さいね」とクランクアップの日に言ってくださったこと 「わたし(モリタ)(いつも北川景子)出すわ」と書いたTシャツを下さった日のこと 「お元気ですか」と時折メールをくださったこと 在りし日のお姿が鮮やかに思い出され、 そのお姿を振り返り偲ぶたびに涙が溢れ出てきます。
つまり、単なる映画監督と俳優・女優という関係ではなく、そこにはいわゆる師弟関係とは少し違うかもしれませんが、少なくとも北川景子さんは森田芳光監督のことを「師」と思っていたわけです。
実際、この間宮兄弟の北川景子さんはすばらしく、人々の記憶に鮮明に残ることになり、その先に現在の活躍があるわけです。
この突然の師の訃報。これは、家族や友人などの親しいものの訃報と、質の違うものです。
それをさらに読み解くのが、さきほどのエントリーの15日後に書かれたエントリーなのですが、なぜかそのエントリーは話題になっていません。
リンク: 2012 - KEIKO'S BLOG - 北川 景子 オフィシャルブログ.
率直に、森田監督との悲しいお別れ以来、現実から目を背けるように、 ただその日をやり過ごして今年を終えました。 監督にまた成長した姿をお見せしたい、とか もう一度ご一緒できるように精進して参りたい、という強い思いが ずっと、大きなモチベーションになっていたものですから 森田監督がお亡くなりになって この仕事を続けていく上での 心の支えがなくなったような気持ちに一時はなりました。
この北川景子さんのこのブログを読んで、思い出した言葉があります。
それは、今回と同じく映画監督と俳優という関係。
黒澤明監督が亡くなった際に、金田一耕助シリーズの警部役でも有名な加藤武さんがテレビで話されていた言葉です。
「私は明日からどうやって生きていけばいいのかわからない」
これは、少し行間が空いているので、少し補足しておきます。
- 自分が成長した姿を「師」に報告したい
- 自分が仕事をしている背中を「師」が見ていてくれる
- 実際に見ていなくても、「師」に恥ずかしいことはできない
こういうものを、ある日突然失うと、まさに人生の支えを失うことになるので、上記のような加藤武さんの言葉になるわけです。
また、やっかいなことに、こういう気持ちというのは、生前に「師」に伝えるような種類のものではありません。まともな「師」なんてものは、超こわくて超やさしいものですからね。
自分でもどこかで、実際に報告することができないんだろうな、ということはわかりつつ、しかもそんなのは自分の勝手な思い込みなんだということもわかりつつ、でもやっぱりそれがあることで、障害にぶち当たったときになんとか踏ん張れるわけです。
なんで、こんなことをくどくどと書いているかというと、私にも「師」がいて、既に鬼籍に入られています。
私の場合は、すでに覚悟をしていた部分はあったのですが、報告する人を失って途方に暮れたことを思い出します。
師父には、ホントにたくさんのことを教わり、たまたま偶然私がそれを知ってしまった以上、これを何かしらの形で、誰かに伝えなくてはいけないと想い続けています。だから、ブログを書いているし、本を書いたりしているとも言えます。
そして、師に教わったことを、自分以外の誰かに伝えるということ、実はそれこそが「師に報告する」ということなのだということに気づいたのは、ずいぶん後のことでした。
北川景子さんの15日間という、ブログ更新までの不在期間。
その時間に流れた気持ちのことを考えていたら、普段あまり書かないことを思い出してしまったので、こうやって書き留めています。
悲しい時間は訪れてしまいますが、だからといって「師に報告する」という気持ちは、薄れるどころか、より強くなります。
どこまでいっても、こっちの勝手な気持ちなんですが、、そういう報告する相手を持てたことに、これも勝手にどこまでも感謝するしかないのです。
合掌
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投稿:by いしたにまさき 2012 01 16 10:30 AM [魂(ハート)] | 固定リンク
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